「すべて心の中にある!」
眼でものごとを考えることはできない。
眼とは、ただ、感覚するだけである。
見たものを愛したり、憎んだり、ああしたいこうしたいと思うことは、心に入ってからである。
”眼は必ず心と一緒に活動する
耳も鼻も口も心と一緒に活動する。”
喫茶店で誰かの話を聞いているとしよう。
それを録音して、あとで聞いてみると、いろんな音が入っているのに驚く。
まわりの人の声や、コーヒーカップの音、雑音、音楽、外の車の音など。
だけど、話を聞いていた時、聞こえていたのは相手の声だけだった。
”感覚器官は心を、意識を向けたものだけに感覚するのです”
それなのに それなのに
人はものごとをあるがままに受けとめているものだと思い込んでいるよね。
ものごとの多面性、多様性を見ようとしないよね。
ものを見る時、聞く時、嗅ぐ時、味わう時、どんな時も心を通している。
心なしでは感覚しない。
それなのに それなのに
人はものごとをあるがままに受けとめているものだと、無反省に、思い込んでいるよね。
あなたが今気になる人その人のことを見ている時、その人もそのものを見ているのではなく、あなたの心の中に生じたその人の影をみている。
”心も中につくり出された、その人に似たものをあなたは見ているのです。”
でもあなたはその人そのものを見ているのと、無反省に思い込んでいる。
あなたが今見ている本。
これはあなたの心の中に生じた影で、心を離れて、この本が実体として存在するものじゃないよ。
”心の中につくり出された、この本に似たものをあなたは見ているのです。”
”すべては心で見ている。”
自分の見ているものすべての物は
自分の心の中にあるんだよ。
机も、鉛筆も、ノートも、本も、海も、豚もサルも人もみんなみんな、幸福も不幸も希望も失望も、喜びも 悩みも みんな みんな そして心もまた、生まれては滅している河の流れみたいなもんだよね。
『世界はすべて
自分の心中にある
世界は自分の心が
映し出しているもの』
(「ブッタとシッタカブッタ」心の運転マニュアル本 小泉吉宏 ㈱メディアファクトリー)
この本は、豚の絵が描かれたマンガです。
読み始めて30分ぐらいで読み終えてしまいます。
でも、なんとなく気になって、読み返してしまいます。
だいぶ以前にこのブログに書かせていただきました文章を思い出しました。
『あるお話です。
大きな町の入り口にある大きな石に一人の老人が座っていました。
旅人が通りかかりその老人にききました。
「この町は、いい町でしょうか。幸せになれる町でしょうか」
すると、老人はこう尋ねました。
「あなたが今まで住んでいた町は、どんな町でしたか」
旅人はこたえました。
「今まで住んでいた町はそれはひどい町でした。だからこうして引っ越してきたんです」
老人は旅人に言いました。
「この町も、あなたが今まで住んでいた町と同じですよ」と
そして老人はまた石に座り続けました。
すると、ほかの旅人がやってきました。そして同じように旅人は
「この町は、いい町でしょうか。幸せになれる町でしょうか」とききました。
すると老人は、やはりまたさっきと同じように
「あなたが今まで住んでいた町は、どんな町でしたか」とききました。
その旅人はこうこたえました。
「私の住んでいた町はそれはそれはいい町でした」
そういうと、老人はにっこり微笑んで旅人にこういいました。
「この町も、あなたが今まで住んでいた町と同じようにとてもいい町です」』
(「自分を好きになる本」高木裕樹著 PHP研究所)
(小林登)














