「すべて心の中にある!」

2010年8月30日 月曜日

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 眼でものごとを考えることはできない。
 眼とは、ただ、感覚するだけである。

 見たものを愛したり、憎んだり、ああしたいこうしたいと思うことは、心に入ってからである。

 ”眼は必ず心と一緒に活動する
 耳も鼻も口も心と一緒に活動する。”

 喫茶店で誰かの話を聞いているとしよう。
 それを録音して、あとで聞いてみると、いろんな音が入っているのに驚く。
 まわりの人の声や、コーヒーカップの音、雑音、音楽、外の車の音など。
 だけど、話を聞いていた時、聞こえていたのは相手の声だけだった。

 ”感覚器官は心を、意識を向けたものだけに感覚するのです”

 それなのに それなのに
 人はものごとをあるがままに受けとめているものだと思い込んでいるよね。
 ものごとの多面性、多様性を見ようとしないよね。

 ものを見る時、聞く時、嗅ぐ時、味わう時、どんな時も心を通している。
 心なしでは感覚しない。

 それなのに それなのに
 人はものごとをあるがままに受けとめているものだと、無反省に、思い込んでいるよね。

 あなたが今気になる人その人のことを見ている時、その人もそのものを見ているのではなく、あなたの心の中に生じたその人の影をみている。

 ”心も中につくり出された、その人に似たものをあなたは見ているのです。”

 でもあなたはその人そのものを見ているのと、無反省に思い込んでいる。

 あなたが今見ている本。
 これはあなたの心の中に生じた影で、心を離れて、この本が実体として存在するものじゃないよ。

 ”心の中につくり出された、この本に似たものをあなたは見ているのです。”

 ”すべては心で見ている。”

 自分の見ているものすべての物は
 自分の心の中にあるんだよ。
 机も、鉛筆も、ノートも、本も、海も、豚もサルも人もみんなみんな、幸福も不幸も希望も失望も、喜びも 悩みも みんな みんな そして心もまた、生まれては滅している河の流れみたいなもんだよね。

『世界はすべて
 自分の心中にある
 世界は自分の心が
 映し出しているもの』
(「ブッタとシッタカブッタ」心の運転マニュアル本 小泉吉宏 ㈱メディアファクトリー)

この本は、豚の絵が描かれたマンガです。
読み始めて30分ぐらいで読み終えてしまいます。
でも、なんとなく気になって、読み返してしまいます。

だいぶ以前にこのブログに書かせていただきました文章を思い出しました。
『あるお話です。
大きな町の入り口にある大きな石に一人の老人が座っていました。
旅人が通りかかりその老人にききました。
「この町は、いい町でしょうか。幸せになれる町でしょうか」
すると、老人はこう尋ねました。
「あなたが今まで住んでいた町は、どんな町でしたか」
旅人はこたえました。
「今まで住んでいた町はそれはひどい町でした。だからこうして引っ越してきたんです」
老人は旅人に言いました。
「この町も、あなたが今まで住んでいた町と同じですよ」と
そして老人はまた石に座り続けました。
すると、ほかの旅人がやってきました。そして同じように旅人は
「この町は、いい町でしょうか。幸せになれる町でしょうか」とききました。
すると老人は、やはりまたさっきと同じように
「あなたが今まで住んでいた町は、どんな町でしたか」とききました。
その旅人はこうこたえました。
「私の住んでいた町はそれはそれはいい町でした」
そういうと、老人はにっこり微笑んで旅人にこういいました。
「この町も、あなたが今まで住んでいた町と同じようにとてもいい町です」』
(「自分を好きになる本」高木裕樹著 PHP研究所)

(小林登)

思い出のメロディ

2010年8月23日 月曜日

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 今(2010・8・21、9:00PM)、NHKテレビでは、“思い出のメロディ”が放映されています。
 私の小学生の頃から20代の頃の歌がほとんどです。

 “思い出のメロディ”というのは、わたしの親が聞く(見る)ものと思っていました。
 「私が小さい頃、口ずさんだ歌、よく知っている歌はまだそんなに古くない。思い出のメロディの範疇には入らない。」と思っていました。
 しかし、テレビの題名が“思い出のメロディ”なのです。
 もう、そういう年齢に達しているのだと、テレビで自覚させられました。

 ♪君の行く道は、果てしなく遠い。
  だのに何故、歯を食いしばり
  君は行くのか
  そんなにしてまで

  君の行く道は、希望へと続く
  空にまた、日が昇るとき
  若者はまた
  歩き始める♪ (若者たち)

 ♪どこかに故郷の香りをのせて
  入る列車のなつかしさ
  上野は俺らの心の駅だ
  くじけちゃならない人生が
  あの日ここから始まった
 
  ホームの時計を見つめていたら
  母の笑顔になってきた
  上野は俺らの心の駅だ
  お店の仕事は辛いけど
  胸にゃでっかい夢がある♪ (ああ上野駅)

 ♪雨 さんさんとこの身に落ちて
  わずかばかりの運の悪さを恨んだりして
  人は哀しい 哀しいものですね
  それでも過去達はやさしく睫毛に憩う
  人生って不思議なものですね

  風 さんさんとこの身に荒れて
  思いどおりにならない夢を失くしたりして
  人はかよわい かよわいものですね
  それでも未来達は人待ち顔して微笑む
  人生って嬉しいものですね

  愛 さんさんとこの身に降って
  心秘かな嬉し涙を流したりして
  人はかわいい かわいいものですね 
  ああ 過去達は嬉しく睫毛に憩う
  人生って不思議なものですね
  ああ 未来達は人待ち顔して微笑む
  人生って嬉しいものですね♪

 「『人生って、いろいろなことがあるけど、そう悪いもんではないぞ!』
 そんな気持ちで、“愛燦燦”の歌を作りました。」と小椋佳さんは言っています。
  何となく、わかるような気がします。

  歌は、その時の情景を思い起こさせ、その時にタイムスリップさせてくれる効果があるようです。

(小林 登)

一本の道を

2010年8月17日 火曜日

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 早朝、愛犬との散歩が多くなりました。  
元々、外犬として飼っていました。  
ある時、強い風に怯えていたため、家の中に入れました。  
それからは、家の中に入りたくて騒ぐようになってしまいました。  
今は、家の中で飼っています。  
外犬だったため便の仕方を教えていませんでした。
 私が散歩をサボると、堂々?と家の中で便をしてしまいます。
 そのこともあって、毎日の散歩となりました。

 散歩の中で、いろいろな疑問がフッと湧いてきます。
 木や草は、何のため存在しているのだろうか?
 何で、あのようにきれいな花を咲かせることができるのだろうか?
 今は、このような緑色が、何故、秋には枯れ草色になってしまうのだろうか?
 ジッとしていて辛くないのだろうか?

 そんなことを思いながら、散歩から帰ってきました。
 朝風呂を浴び、書斎(3畳の部屋)で、何気なく本を取り出しました。  
坂村真民先生の次のような詩が眼に入ってきました。  
 
『木や草と人間と
  どこがちがうだろうか
  みんな同じなのだ
  いっしょうけんめいに
  生きようとしているのを
  みると
  ときには彼らが   
人間よりも偉いとさえ
  思われる
  かれらはときがくれば
  花を咲かせ
  実をみのらせ   
じぶんを完成させる
  それにくらべて人間は
  何一つしないで
  終わるものもいる
  木に学べ
  草に習えと
  わたしは自分に言いきかせ
  今日も一本の道を歩いて行く』  
(「花が降ってきたら」なぞって味わうしんみんさんの詩集 坂村真民著 DAI-X出版)
 この詩には、“一本の道を”という題がついていました。

(小林 登)

自分を生きる

2010年8月9日 月曜日

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 私は、昭和27年5月15日生、当年58歳。
 身長162cm、体重75kg
 職業 税理士
 家族構成 妻と長男と犬と猫2匹
 このように、自分のことを紹介することができます。

 私自身を含め多くの人は、“自分のことは自分が一番知っている”と思っています。
 そして、“自分の思うように生きている”と思っている人が大半のような気がします。

 しかし、本当は、多くの人が自分を知らないために、“本当の自分を生きていない”のが、現実のようです。
 
『多くの人は、本当の自分とは出会いたくないものです。
 なぜなら、本当の自分とは「不十分で、価値のない者」と刷り込まれているからです。
 自分の本音の上に、時代の価値観、親のメッセージ、自分の願望等を二重三重と重ね、包み込んでいるうちに、内なる自分の姿が完全に見えなくなってしまいます。

 しかし、不思議なことに折に触れて、内なる命が悲鳴を上げ、目を覚ますことがあります。
 とくに、人間関係は自分と出会う最高のチャンスです。
 1 紙と鉛筆を出し、あなたが嫌いな人の名前を書き出して下さい。
 2 次に、その人のどのようなところが嫌いなのか、いくつか書いて下さい。
 3 次に、それらに順番をつけ、最も嫌いなところに注目してください。
 気の弱い人、ずるい人、上からものを言う人、優柔不断な人等、書き出されましたか?
 そして、自分で自分に言って下さい。
 「それが私です。」と。
 多くの人々は納得しません。
 「そんなはずはない」と思います。
 百歩譲って、「確かにそういう面が自分にもあるけれど、あの人ほどひどくない」などという人もいらっしゃいます。
 
 でも、その自分を「これも私」と受け入れたとき、本当の自分が喜びの声を上げ、自分を生きることができるのです。』
(トータル・カウンセリング・スクール 一元ファックス 田中信生コラムより)
 本当の自分を一番知っていないのは、自分自身のようです。
 でも、本当の自分を知ったときは、今以上に素晴らしい人生が開けてくるような気がします。

(小林 登)

自然の不思議

2010年8月2日 月曜日

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 連日、30度を超す猛暑。
 本格的な夏の到来です。
 それにしても、今年の夏は暑いと思います。

 “夏は暑く、冬は寒い”
 このほうが経済効果は高いと言われています。
 夏には、夏の物が大量に売れ、冬には冬の物が大量に売れるからです。

 暑い夏は、果物や野菜にも大きな影響を与えてくれます。
 特に、暑い夏は甘いスイカを作ってくれるような気がします。
 私が小さい頃、私の実家では、スイカを栽培し生計を立てていました。
 そのため、形の悪いスイカや小さいスイカは、いくらでも食べることができました。
 スイカの食べすぎで、お医者さんのお世話になったこともあります。

 小さい頃の私は、スイカを種ごと食べていました。
 いちいち、種を拾い出して食べるのが面倒だったからです。
 「種ごと食べると、お腹の中にスイカが生えてくるよ。」とよく脅かされました。
 でも、お腹の中にスイカが生えることはありませんでした。

 食べた種は、食べたそのままの形でウンチの中に含まれ、すべて外に排出されていました。
 その種が、土の中で芽を出し、新しい生命が誕生してきます。

 私は最近、秋刀魚クラスの大きさの魚の骨やえびの尻尾などは、極力食べるようにしています。
 多少硬いと思われる魚の骨やえびの尻尾などは、食べても胃や腸で分解・吸収されて、栄養となり、そのままの形で外に出ることはありません。
 しかし、スイカの種は、強烈な胃酸にも負けず、そのままの形で排出されてしまいます。

 人間の身体とスイカの種との間で契約があるかのようです。
 これは、人間だけでなく他の動物でも同じことがいえます。
 鳥の糞が、新しい植物を運んでくることは、多く見られます。
 自然界では、ごく自然のことなのかもしれません。

 スイカやかぼちゃの種を、食料としている国があり、海外旅行のお土産としていただくことがあります。
 そのとき食べた種は、胃や腸で分解吸収されて、そのままの形で外に排出されることはありません。
 多分、種の周りを覆っている部分に、胃や腸で分解されないような仕組・細工があるのだと思います。

 スイカがある特定の場所だけに生えているのだとしたら、スイカの生成・発展は多く望めません。
いろんな場所に生えてこそスイカの繁栄があるのです。
 スイカは、あの甘さを提供し、食べてもらうことにより種を運んでもらい、いろんな場所にスイカが生えるようなシステムを開発しているのです。
 一体、スイカのどこにこのような知恵があるのだろうかと思ってしまいます。

 それにしても、自然界はギブ&テイクで成り立っている世界なのだと、つくづく感心してしまいます。

(小林 登)

『異常気象』

2010年7月26日 月曜日

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 日本全国で、日中の気温が35度を超す猛暑日が続いています。
 異常気象です。
 熱射病で亡くなる人も出ています。

 この異常気象は、日本だけでなく世界各地で起こっています。

 日本経済新聞7月25日の朝刊(第13版)では、「天候異変 世界混乱」という見出しで次のように述べています。
『世界各地で豪雨や干ばつなど天候異変が相次ぎ、経済や市民生活に影響が及んでいる。中国では、豪雨で1億人以上が被災、ロシアでは記録的な猛暑と少雨に見舞われ、両国とも農作物の収穫減が予想されている。
 ロシアの生産減への懸念から小麦の国際価格は約13ヶ月ぶりの高値水準にある。
 欧州は熱波、南半球の南米諸国は寒波に見舞われ、市民生活にさまざまな混乱が起きている。』

 また、「偏西風や海洋異変 原因か」という見出しで次のようにも述べています。
『中国やロシアの異常気象は、大気上層を西から東に向かう「偏西風」と呼ばれる強い気流が大きく蛇行したのが主因と見られる。
 猛暑地域は流れが南から北へ向かう部分に近く、南の高温な空気が入った。
 海洋の異変も重なった。
 インド洋熱帯域の海面水温が通常よりも高く、猛暑をもたらす高気圧の発達を助けた。
 ロシアなどでは乾いた高温となったが、中国の中・南部には海を渡ってきた暖かく湿った空気が流入し大雨となった。
 一時的に上空に冷たい空気が入って大気が不安定になり、豪雨をもたらしたケースもある。
 今後は、太平洋東部熱帯域の海面水温が例年よりも低い「ラニーニャ」現象も予想される。
 同現象は異常気象の多発につながるとされ、猛暑や豪雨がさらに起きやすくなるおそれがある。』

 新聞では、この異常気象は“偏西風や海洋異変が原因”として説明していますが、“何故、偏西風の蛇行や海洋異変が起こっているのか”その原因までは説明していません。

 私は、この異常気象は、地球の怒りと注意を喚起しているのだと思えて仕方がありません。

 市街地は、ほとんどがアスファルトで覆われ、土の見える部分はほんの少しです。
 どこの家にもクーラーが備えられ、部屋を冷やすかわりに暖かい空気は外に出しています。
 世界の肺と呼ばれているアマゾン地域は、木材として利用するために木の伐採が進んでいます。

 これらは、私たち人間(特に先進国といわれている国の人間)の使い勝手や便利さ、そして、お金を儲けることを考えて行っています。
 
 この地球は、動植物・微生物の大きなバランスの中で、生成発展をとげてきています。
 
 その中のほんの一部にしか過ぎない人間が、あまりにも傲慢に、あまりにも自分勝手に、地球を弄繰り回しているため、このバランスが狂い始めているのです。
 
 地球は、我々人間に対し、怒り、かつ、注意を喚起しているのです。
 気付いてくれ!
 このまま進んでいくと、地球は滅亡する! と
 
 (小林 登)

砂糖の害

2010年7月20日 火曜日

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 漢方では、喘息の発作を鎮めるのに、麻黄という薬草を用いる。
 麻黄の中に含まれているエフェドリンに、鎮咳作用があるからである。
 現代医学では、このエフェドリンを純粋な結晶として取り出して、喘息薬としている。
 しかし、この2つの作用は全く異なる。
 麻黄は、発作をおだやかに鎮めてくれる。しかし、結晶として抽出したエフェドリンは、発作をすばやく抑えてくれるかわりに、くり返して用いると強い副作用によって体のあちこちに異和が起こってくる。
 物を全体としてみるのと、部分的に見るのではこうも結果が異なるのである。

 砂糖も同じことがいえる。
 黒砂糖のうちは、その中にビタミンやミネラルを豊富に含んでおり、少量を用いれば栄養となるものを、精製して純度を高くしていくと、もはや食品といえない“薬品”となってくる。
 それが身体に毒となって数々の副作用をもたらす。
 そして、人間の生命は加速度的に蝕まれていくのである。
 虫歯・近眼・ノイローゼ・胃弱・アレルギー体質などは、砂糖の過食で身体からカルシウムが奪い去られた結果であり、動脈硬化・高血圧・癌・糖尿病などが白砂糖の多食でおこることは医者も認めている。
 「砂糖消費量が文化のバロメーターである。」いうのは過去の遺物となった。

 砂糖の害の最も根本となるのは、細胞そのものに害を及ぼすことである。
 したがって、砂糖の害は身体の一点にとどまることなく、全身に波及する。
 個々の臓器・器官について害が指摘されているが、障害は同時に全身的に起こっているのである。
 白砂糖食の動物では子宮の小さい、筋層が薄くて発育の悪い、いわゆる小児性子宮で妊娠率が低い。妊娠しても悪阻がひどく経過が不良である。そして子宮の発育が悪いから収縮力が弱く、胎盤の形成や分娩がおそくなり、卵巣ホルモンの分泌が低下して、早産・流産の原因となる。

 この砂糖の害に対しカルシウムは、全く反対の作用がある。
 青菜やカルシウムを与えた動物群は健康で丈夫な普通以上の身体をもち、健全な子を生んでいるのである。
 
 砂糖の害を少なくしてくれるのは、アルカリ、ビタミン食といっても過言ではない。
 
 しかし、それよりもまず甘いものを口にしないことである。
 その上で、カルシウム豊富食を取れば、まさに鬼に金棒といえよう。
 (「白砂糖の害は恐ろしい」 甲田光雄著 (有)人間医学社)
 この本は、昭和47年5月1日に初版され、平成16年6月30日で第17版となっています。
 読んでいきますと、本当に怖くなるような内容が書かれています。
 
 甘いものに目がなくて!
 甘いものは別腹、いくらでも食べられる!
 このような人は、私たちの周りに沢山います。

 この本を記載されているように、「砂糖消費量は文化のバロメーター」であることは理解できます。しかし、その反面、「亡国に向かって突き進みはじめたバロメーター」とも言えるのではないかと思うようになりました。

 気軽に読める本ではありませんが、是非一読をお勧めします。
(小林 登)

信  念

2010年7月12日 月曜日

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 昨日(平成22年7月11日)は、参議院選挙でした。
 民主党政権になり、約一年が経ち、民主党政権の信を問われる選挙でもありました。
 結果は、民主党は44議席の獲得に終わり、自民党の51議席を下回る結果となりました。
 国民新党は議席の獲得ができず、参議院における与野党は立場が逆転してしまいました。

 今の日本、どうにかしないといけない。
 ここ数年、国民の大多数が思いはじめました。

 何とかして欲しい。
 民主党であれば、変わるかもしれない。
 国民の悲痛の叫びが、民主党を支持しました。
 それが、自民党政権から民主党政権への移行であったはずです。
 しかし、思ったとおりには行きませんでした。
 
 今回の選挙では、みんなの党が10議席を獲得しました。
 民主党も、自民党も期待できない。
 みんなの党であれば、何かをやってくれるかもしれない。
 そんな期待が込められているような気がします。

 参議院選挙の前、民主党の菅首相は、「消費税は10%を基本に検討していく。与野党を超えた超党派という立場で!」このような発言をしました。
 この発言に対して、民主党議員の中から“寝耳に水”の言葉が多くでました。また、国民の意見も賛否両論でした。
 途端に、菅首相のトーンが下がってしまいました。
 
 菅首相は、多くの情報が集まり、日本の現状が一番良く見える立場にあると思います(昔の読んだアンデルセンの童話に「裸の王様」というのがありました。菅首相は決してこのようなことはないと思います。)。
 だとしたら、“今、日本で何が必要なのか”が、良く見えると思います。
 そのための消費税10%発言だったと思います。

 日本の再建よりも政党の維持を選択してしまったようで仕方がありません。
 
 リーダーは孤独だと思います。
 多くの選択肢の中から、ひとつを選ばなくてはならないこともあります。
 義理や人情も絡んでくることもあると思います。
 
 日本を再建する。
 この信念があれば、国民は理解してくれると思います。
 “消費税10%発言”
 信念の言葉であれば、どのような状況にあっても、この意見を貫いて欲しかった。と思います。
 それが、私の偽らざる気持ちです。

(小林 登)

Quiet Corner(クワイエットコーナー)

2010年7月6日 火曜日

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『Quiet Corner(クワイエットコーナー)とは、直訳しますと“静かな片隅”ということですが、本来の意味は“心の中の静けさ”“心の深いところにある静かな場所”です。
 もう少し広く解釈しますと“心の中の静けさに達するための作業”、つまり、“静かにじっと座って自分の呼吸に意識を集中する時間”のことも含まれます。

 私たちは毎日、時間に追われた生活を送っています。
 やらなければならないことは山積みされています。
 全部こなそうと思っても、時間が足りません。
 仕事での要求
 夫や妻からの要求
 子供の要求
 社会の要求
 そして何より、自分自身が作り出した要求。
 いつも忙(せわ)しなく、ゆとりのない生活が、強いストレスとなって現われてきます。

 そんな時こそ、Quiet Corner(クワイエットコーナー)が役にたちます。
 なぜなら、心の静けさを手に入れることができれば、外側にどんな荒波が押し寄せてこようと、その波に翻弄されずに、対処できるからです。
 そして、将来に対する不必要な心配や不安を抱くことも少なくなっていきます。

 「一日に10分でも20分でも、一人で静かに過ごす。」
 「呼吸に意識を集中し、なるべく深い呼吸を心がける。」
 これがQuiet Corner(クワイエットコーナー)です。
 一般に瞑想と呼ばれているものと同じです。

 Quiet Corner(クワイエットコーナー)を続けていますと、すばらしいご褒美があります。
 バランスのとれた生活
 深い洞察力
 頭脳の明晰さ
 笑顔のある生活
 喜びの体験
 心の平和
 深い理解と感謝
 無条件の愛
 このようなものが、ご褒美として与えられます。

 ほんのわずかなひとときを割いて静かに座り、深く呼吸するだけで、これらのすべてが自分自身のものになっていきます。
 
 Quiet Corner(クワイエットコーナー)を持つことにより、忙しく、あれやこれや思いわずらっている自分とは別の、もっとゆったりとした自分を感じ始めてきます。』
 
 ナポレオンが息子に対しての最後の言葉が、「瞑想の時を持て!=Quiet Corner(クワイエットコーナー)」だそうです。
 Quiet Corner(クワイエットコーナー)を持つことは、現代の社会に生きる私たちにとって、本当に必要なことだと思います。

 (『「心のクワイエットコーナーを探そう」ナンシー・オハラ著 株式会社にじゅうに』を参考とさせていただきました。)

(小林 登)

団 結 力

2010年6月28日 月曜日

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 サッカーのワールドカップ南アフリカ大会が注目を集めています。
 6月26日、読売新聞の社説は、『世界最高峰の舞台で、ベスト16に駒を進めた。日本代表チームの奮闘に拍手を送りたい。』の書き出しで始まっています。

 『デンマークの猛攻を体を張って防ぐ日本の選手たちからは、「ここで敗退するわけには行かない」という気迫が伝わってきた。
 岡田武史監督は、「すばらしい選手たちを誇りに思う。・・・まだ世界との差はある、チームはちょうど成長してきたところで、その成長を敗退ということで止めたくなかった。」と語った。』

 ワールドカップの前哨戦としての国際試合に負け続け、一時は厳しい批判の中で進退を口に出したこともある岡田武史監督は、「もっと押し上げろ!」声の限り叫び、支持を送っていました。  
その姿は、自信に満ちあふれていました。

 私が高校生の時(41年前)、同じクラスのサッカー部所属の友人からワールドカップの存在を知らされました。
 その友人は「サッカーで本当の世界一を決定するのはワールドカップだ。ワールドカップでの優勝は、オリンピックでの優勝よりもずっと価値がある。」そんなことを熱く語ってくれました。

 サッカーは、ボールがあれば直ぐにできるスポーツです。
 公式試合ではシューズやユニフォームも必要ですが、通常はボールだけで十分です。
 他のスポーツに比べると、安価で楽しむことができます。
 そのようなことから、世界中で楽しまれているスポーツになったのだと思います。
 日本では、野球の人気が高いですが、世界的にはサッカー人気が断然トップです。
 そのため、4年に1度ワールドカップが開かれ、全世界が注目するのです。

 日本の選手は、試合前の国歌演奏のとき、全員が肩を組み、心をひとつにしていました。
 個人技では、ブラジルやアルゼンチンの選手の方が優れているのかもしれませんが、サッカーはチームプレイです。
 選手それぞれが力量を理解し、ベクトルを同じ方向に向けられたとしたならば、イレブンの力が11(1×11人)ではなく、20にも30にもなることができます。

 出場選手、控えの選手、監督、コーチの区別なく一致団結していました。
 
「まだ、我々の終着点はここではない。」岡田武史監督は4強をめざしています。  
本田圭祐選手は優勝を公言しています。  
決して夢ではないような気がします。
 そんな勢いを感じさせてくれます。

(小林 登)